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久々に会った友人に「アリエッティ」を酷評されたので、良くもなかったが悪くもなかった代表として多少の弁護を。
感想というよりは、考察に近いかも。
ネタばれしてます。
ただ、見たのが試写会のため、記憶がかなり曖昧です。




アリエッティは、ジブリだけあって、BGMは良かったし、効果音の使い方とかもうまかった。
作画については良く分からないけれども、妹が何も言ってなかったから、少なくとも悪くはなかったはずだ。
声優も、タレント使っているにしてはそこそこで、不自然さ、違和感といったものはなかった。
じゃあ、何が悪かったのか。
要因はストーリーにあると考えられる。


☆悪かったと思われる要因
①ヤマがない(そのため盛り上がらない)。
②翔が中二病。
③ギャグを無理やり入れている感じがあり、不自然。
④メインテーマであろうと思われる「生きることへの執着」へのつながりが見えてこない。


主な原因としてはこの4つだろう。
どれもこれも大分致命的である。
①②は後述するとして、まずは③から検討していく。
③に関して言えば、このアリエッティという映画は②の要素があるために、低年齢層には少々理解が難しいと製作者側が感じ、取った手段であろうと考えられる。
しかし、必要ない部分で入れてしまっているために、どうしても表現が露骨になってしまい、見ている方がいたたまれなくなるような残念なできに結果的になってしまっているのである。

続いて④であるが、これはもう、私からは何も言うことはない。
正直、この点に関しては、「なんでそうなった」という言葉以外出てこない。
フォローすらもできません。

そして①、これは或る意味仕方ない結果である。
そもそも、テーマからしてヤマが造りにくいのである。
本格的に人間と小人が対立しているわけではないから、ラピュタみたいな戦場なんてないし、だからといってそこまで両者の仲がいいわけでもないから、大した事件も起きない。
しかし、だからと言って見つかった→引っ越し→終わりでは、物語として成立しないから、一応、体裁を取り繕うような形で、見せ場を作ってみた。
が、当然中途半端である。その中途半端具合が、見る人に盛り上がらない、ヤマが無いと思わせているのではなかろうか。

最後に②についてであるが、これはもうどうしようもないことで諦めるほかないと私は思っている。
考えても見てほしい。
翔の年齢など私は端から覚えていないが、あいつはどう考えても中学生以上大学生未満である。
その上難病に患わっているのである。
中二病にかからないわけがない!!
そりゃ意味のわからないことだって言うさ。
健康体の私だって言ってたもん。過去の自分を誰か殺してくれと思うようなことをさあ!!
だから仕方がないんだよ。
むしろどちらかというと、リアリティを出している点では私は評価してもいい部分だと思うよ。


以上のことから、この映画はそこまでいい映画ではなかったことが分かるだろう。
上にあげた4つはどれも致命傷である。
しかし、この4つの致命傷を受けてもなお私が「悪くはなかった」というのは、この映画の裏テーマ(メインではない)に共感したからである。
私が思う裏テーマ、それは「共存」である。(この言葉が適切かどうかはいまいち自身がない)
恐らくある程度、歳があるひとでこのテーマに気付かなかった人はいないだろう。
アリエッティたちを“守りたい”と思う翔と、“生きたい”と願うアリエッティたち。
根本は同じなのだろうが、種族間のあまりの立場の違いに、相互理解ができていない。
つまり、“守りたい”と翔が思うのは人間の傲慢さであるという結果になる。
わざわざ守ってもらわなくとも、アリエッティたちは生活することができていたのだ。
上手く説明できないが(というか、ちゃんとした文章にすらなっていない気がするが)、これを読んでいるのは映画を見た人だろうから、なんとなく「ああ、あのことだな」ということが分かると思う。

しかし、ここまで思い至ったのなら、もう少しこのテーマを掘り下げてこの映画を見てみてほしい。
アリエッティたちが引っ越さなければならなくなったのは、翔がアリエッティを見て、ちょっかいを掛けたことが原因である。
(お手伝いさんがお母さんを捕まえた事件は、その前に既に引っ越しが決まっていたので原因ではない)
アリエッティたちはあの屋敷での生活を気に入っており、また外は危険であるために引っ越しは本当に最後の手段であったのだ。
確かに初っ端から翔に見つかっては居たが、あの段階ではまだ“様子見”の段階であった。
だが、翔が角砂糖を届けたことで引っ越しが“要検討”になり、キッチンをドールハウスに取り換えたことで“急務”に変わった。
つまり、翔の“親切”が全て引き金になっているのである。
これこそまさに“余計なお世話”というものであろう。
そしてこの“余計なお世話”のせいでアリエッティたちはどんどん追いやられているのだ。
ここが私がこの映画を“深い”と感じた理由である。
つまり、このことは現代の私たちにも言えることではないだろうかと思ったのだ。
昨今環境保護と叫ばれて久しいが、本当にそれは環境を保護しているのだろうか?
環境保護という名の自然破壊ではないか?
そういったメッセージをこの映画では投げかけていると考えたのである。

深読みのしすぎですかね?

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